庵治石・お墓の専門店 株式会社オールストーン

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庵治石について

歴史

悠久の時を経て生成された庵治石。
移り変わる時代の中で人々に愛され、時に日常に寄り添い、 時に高貴な彩りを添えてきました。その変遷をたどってみましょう。

誕生
中世白亜紀

庵治石などの火成岩が生まれたのは約8000万年前です。恐竜が地上を闊歩していた時代、すでに庵治石の歴史は始まっていたのです。
温暖な気候や海流がマグマをよりゆっくりと冷やし固めた為、庵治石の硬さやきめ細かさを作るのに役立ったと言われています。 その過程は数万年から100万年とも言われ、長い長い時間を掛けて庵治石が生まれていきました。

史実に登場
平安時代

庵治石が初めて史実に登場するのは平安時代。京都の石清水八幡宮の「建武回録記」という古文書に記されています。
その内容は、八幡宮の再建にあたり石種30種、個数5000の切石が使用されたというもの。
関連する古文書を紐解いてみると、現在の牟礼町の一部が石清水八幡宮の荘園であったとされることから、使用された石材は庵治石だったと考えられます。つまり、庵治石は平安時代後期から採石され、遠く海を隔てた京都までも送り出されていたのです。何百もの船で大きな庵治石を運ぶ作業は非常に大変だったでしょう。庵治石にはそれだけの労力を払う価値があると評価されていたことがうかがえます。

「庵治石」の確立

高松城跡

天正時代

「庵治石」として本格的に使用され始めたのは、天正時代(1573年~)に入り高松城・大阪城築城の頃からといわれています。 別名「玉藻城」とも呼ばれる国の史跡・高松城の石垣や桜門の礎石に庵治石が使われています。大阪城の石垣などにも使用され、この頃から庵治石の採石が頻繁に行われるようになりました。
庵治の港から運んだため、「庵治石」と呼ばれるように。

江戸時代

讃岐藩松平家の屋島東照宮造営原産地での庵治石製品加工が始まり、和泉の国より石工が呼び寄せられました。任務を終えた彼らは現在の庵治町・牟礼町あたりに住まわり石材業を始めます。
この頃、塩田で海水を炊いて塩を作る石釜に庵治石が使われるなど、生活の中にも根付いてきました。 源平合戦において、源義経の四天王の一人であった佐藤継信は元暦2年(1185年)2月、屋島の合戦で、強弓で知られる平家能登守教経から義経をかばい、身代わりとなって討たれました。
寛永2年(1643年)、初代高松藩主・松平頼重公が佐藤継信の墓石を王墓(牟礼町)壇ノ浦(屋島)に庵治石で建立し、その戦死を称えました。 義経があの一ノ谷合戦の逆落としに駆ったと言われる名馬・太夫黒の墓石も庵治石で建立されています。
壇ノ浦の墓石の台石は全て庵治石で建てられており、基壇の石組も正面の石段も庵治石が使われています。

明治時代~大正時代

経済発展と好景気で庵治石の需要は増加し、一大石材供給産地として躍進を遂げます。次第に採石と加工が分業化され、それぞれの技術が高まっていきました。
庵治石がもつ優れた品質に加え、見事な加工を施す石匠の技が評価され、庵治石は全国的にその名を轟かせます。

近年の発展
昭和

戦後、生活もようやく安定し始めると共に、庵治石の灯籠・墓碑などの要望も増加していきました。
昭和35年ごろには石材切削機が導入され、庵治石をはじめとした石材加工に大変革をもたらしました。
このようにして加工の機械化など技術改良も進み、庵治石産業は飛躍的に発展していきます。
時代とともに庵治石と石匠の技術は磨き続けられ、世界に誇る最高級石材「庵治石」として認められるまでになりました。

そして現代へ

墓石をはじめ庭灯籠や置物、庵治石の石灯りなど様々な庵治石製品が、広く親しまれるようになりました。
そして実用品の枠を超え、庵治石を使ったアート作品も生み出されています。
これからも庵治石は伝統を受け継ぎながら、さらなる進化を遂げることでしょう。

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